脚下照顧
今回は草薙龍瞬さんの「反応しない練習 あらゆる悩みが消えていくブッダの超・合理的な「考え方」」を読んでみたので感じたことをレビューします。
Keyword
- 悩ましい現実は心の反応が原因
- その多くは妄想に対して反応している
- 判断でさえ妄想
- 足元をみてできることを積み重ねることが重要
Thinking
この本で衝撃的だったのが「人間は妄想に対して反応して心を病んでいる」ということ。
頭の中で考えていることは「貪欲」「怒り」「妄想」に分類ができるようです。
目の前に見える事実「空が青い」「物がある」以外はすべて見えない「妄想」なんです。
どんな考えであっても上記の3つに分類できます。
なので考えていることってほとんどが妄想なんです。
なので「自分は妄想に対して反応している」と考えたら少し気持ちが楽になりませんか?
そして判断することさえも妄想とされています。
この書籍では判断とは、
「判断」とは、この仕事に意味があるとかないとか、人生は生きている値打ちがあるとかないとか、彼と自分を比較すれば、どちらが優れている、劣っているといった「決めつけ」「思い込み」のことです。
とされています。
意味も比較(≠競争)も妄想であり、「自身は妄想に対して反応しているんだと客観的に捉える」ことで冷静になれます。
ただ、競争しなければ仙人みたいな生活をしなければいけない。
この世の中で生きていく上で競争は避けれられない。
だから競争を違うモチベーションで生きることが必要です。
実態があると思い込んでいるものー勝ち負けや優劣を競わせる社会の情報や価値観ーは、厳密に言えば妄想でしかありません。
ボクも若い頃は「どうやって他人に勝てるか」にフォーカスを当てていました。
でも世の中に自分より頭のいいヤツなんでいっぱいいるし、男前だっていっぱいいる。
なので自身がやっていて楽しい(喜の心)で日々を送ることが重要。
ボクであれば「みんなに感謝される」ことや「笑っている」ことに楽しいと感じます。
逆に「(他人を利用して)儲けてやろう」とか「(意味を考えることなく)ただ稼ぎたい」といった考えは苦しみを感じます。
お金は必要だけど、必要以上には必要ない。
「足るを知る」のはこれからの時代にとってとても重要だと思います。
生きるのに必要な食べ物があり、自由にどこにでも行けて、友人といつでも繋がれる。
すでに足りている世の中で「競争」する必要なんてないのかもしれません。
ミニマリスト的な考えと仏教の考えって近いものがあると思います。
だから仏教的文化が根づいている日本にはミニマリスト的考えが浸透しやすいんだと思います。
そして自分の足るを知ったあとは、
「脚下照顧」
自分の足元を見てできることを積み重ねていく。
他人に振り回されることなく、あとは地道に自分の道を進むだけです。
ボクも自分の気持ちに素直に、自身の思う道をじっくり進んでいこうと思えた一冊です、